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出でよ“第二の円谷幸吉!”  円谷ランナーズ!!

kanrinin

本WEBサイト管理人(副代表:水野武)

 
◆昭和39年(東京オリンピック開催年)6月須賀川市生まれ
◆須賀川第三小学校、第三中学校(1年〜3年野球部、3年時岩瀬地区3,000m1位・岩瀬地区駅伝区間賞
福島県立須賀川高校(円谷幸吉さん母校)、1年時野球部、2年3年陸上部
 インターハイ県大会5,000m3位(15分35秒)

NECホームレクトロニクス「1983~2000在籍」,陸上競技部(所属7年間_1983年4月~1990年3月)
 “ゆっくり走れば速くなるLSD理論”の佐々木功監督の指導を受ける、
 主に駅伝でチーム繋ぎ区間を担当、
 青東駅伝5回(S59・S60・S62・S63・H元)東京都代表出場、
  区間賞2回[S62.第16区(安比高原-松尾)/S63.第60区(東川口-鹿浜)]、
 昭和59年全日本実業団駅伝(伊勢)5位メンバー(4区10km)、
 昭和59年奈良国体 東京都代表 成人B 5,000m 10位、
 平成元年東日本実業団駅伝優勝メンバー(4区10km)、
 平成元年ニューイヤー全日本実業団駅伝(前橋)3位メンバー(4区10km)
 ★ハーフ(別大):1時間5分59秒、10マイル:49分32秒、30キロ(青梅):1時間37分15秒
  1,500m:4分02秒、5,000m:14分25秒、10,000m:29分57秒

◆東京体育専門学校(夜間2年制)1992年卒、運動生理学等
 ※選手時代に足の長さ差異(左が右より1.4cm長い、ナイキへ靴底6mm迄調整)により、
  背面疲労・故障が多かった苦い経験から、個人一人ひとりによりあったトレーニング方法を考える為、
  又指導者としての専門知識を身につけるべく運動生理学知識を学ぶ
◆健康運動指導士、ヘルスケアトレーナー
◆PCインストラクター

2010年2012年、2015年、2016年、ふくしま駅伝須賀川市チームコーチ
2013年2014年ふくしま駅伝須賀川市チーム監督
 kurokanseti20131202.pdf へのリンク
 

東京オリンピック開催1964年生まれ
 円谷幸吉さん母校:須賀川高校陸上部OB
 実業団でニューイヤー駅伝を経験・3位入賞、自身“第二の円谷幸吉”を目指した
 この絶対的な運命・宿命から、自身にしか伝えられない経験知識を生かして
 ここ須賀川市から将来の第二の“円谷幸吉”選手、オリンピック選手を育てる事を、
 夢・目標に活動
してまいります!!

☆【トレーニング方法等について
 自身も高校生時無名で、所属したチーム方針が、実業団でありながら“ダイヤの原石”を探し、“磨いていく”
 選手(高校卒中心)採用・強化方針であった影響、また指導者:佐々木功が“「スピードがないわけじゃない。
 記録が出ないのは、スピードが出ない身体と走り方をしているからだ。スピードが出る身体を作って、
 走り方を変えたら、必ず速く走れるようになる」”と言われていた影響を受けました。
 佐々木監督は実業団監督としては唯一LSDを練習の基本におき、よく“毛細血管の拡張”、“身体資源の開発”、
 “セルフコントロールが一番大切”といつも耳に入ってきて“自身の身体の把握”の重要性を勉強しました。
 実際無名の私でもスピード練習をほとんど無くとも、実業団駅伝では5千・一万のベストタイムで、
 30秒・一分も負けている他チームランナーと互角の戦いができましたし、時には勝つこともありました。
 故障をしないで自身のベストな状態でスタートラインに立てる事、これが一番重要で、他チームのように、
 大卒箱根経験者を採用し、その中から“選別”し駅伝チームを組める会社に、私の所属していたチームが、
 勝つ唯一の方法でもありました。
 (東日本実業団駅伝で、当時日産自動車所属:下重庄三さんが区間賞で、私が区間2位の時もありました)
 “選別できないチーム事情”を抱えるチームという意味では、今自身市町村駅伝指導をうけもっている立場と
 して、規模は小さいですがまさに同じ経験をしています。
 30万都市の郡山市・いわき市・福島市等の“中学生セレクションが可能な”チームと違い、我が須賀川市は、
 7万6千人と中規模都市ですので、どの選手も重要で大切で、“故障者を出さない”、
 “いかに個々人のベストな状況作りができるか”を、須賀川市駅伝チームの練習メニュー基本としています。

☆信条;ネバーギブアップ!!


PS.崎辺連絡有難う。辻口連絡まっています。問合せフォームからメールアドレスを正確に入れて下さい。